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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)2385号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 後藤悦男

被告 ○○企画株式会社

右代表者代表取締役 乙山十郎

右訴訟代理人弁護士 堀口嘉平太

主文

一  被告は原告に対し金一、五六三万八、〇〇〇円及びこれに対する昭和四九年一月二六日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決はかりに執行することができる。

事実

第一双方の求める裁判

一  原告

主文同旨

二  被告

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。

≪以下事実省略≫

理由

一  本件報酬金支払約束について

1  ≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められる。

東京都新宿区○○×丁目×番地の××宅地一二九・七七平方メートルは、もとは被告会社代表者乙山十郎(以下「十郎」という。)の亡父の所有であったが、同人の死後乙山家では、同地に貸ビルを建築するとともに、同ビルを管理する会社を設立し、十郎をはじめとする乙山家の一族がその経営に当ることを企画した。十郎の姉訴外甲野花子の夫にあたる原告も乙山家の一員として右企画に協力することになったが、十郎が昭和四五年一一月ころ、訴外日本通運株式会社のセールスの仕事のため渡米してしまったので、結局原告がほとんど独力でビル建築計画の推進にあたることになった。ところで、右ビル建築計画にあたって、乙山家には建築資金が不足していたため、原告はいわゆる立替工事方式(建築会社がその資金でビルを建築完成して注文者に所有権を移転し、注文者がこれを担保に供して銀行から融資を受けて、建築会社にその代金を支払うという方式)によって建築計画を実現しようと考え、知人などを通じて立替工事を引受けてくれる建築会社の物色に奔走し、数社との接衝を重ねた結果、訴外○○工業株式会社(以下「○○工業」という。)から右立替工事に応ずる旨の約束を取りつけ、ビル建築工事に伴なう設計監理業務については、かねてから原告が懇意にしていた訴外Aが経営する訴外株式会社T設計事務所(以下「T設計事務所」という。)にこれを委託する手筈を整える一方、テナントの募集も開始し、十郎が帰国した同四七年八月ころには一部テナントとの契約も完了して、ビル建築計画はほゞ軌道に乗り、着工を待つ状況にあった。かくして、同年九月二七日不動産の賃貸管理、不動産の売買および仲介を目的とする被告会社が設立され、十郎、原告、訴外乙山うめ(十郎の母)、同乙山咲子(十郎の妻)、前記甲野花子が株主となり、また十郎、乙山うめ及び原告の三名が取締役に就任し、十郎が代表権を有することゝして直ちに前記○○工業、T設計事務所との間に各々正式に工事請負契約、設計監理委託契約を締結し、同年一一月はじめにはビル建築工事の着工をみた。ところが、被告会社設立当初から、十郎と原告との間には経営方針をめぐって意見の対立があったのに加えて、同四八年九月中旬ころに至り、前記のようにビル建築工事計画の推進に奔走努力し、その実現に大きく寄与したとの自負心を抱いていた原告が、自分より年若い十郎の経営能力に危惧の念をもっていたことも手伝って、十郎に対し自己に被告会社の代表権を付与すべきことを要求し、更に右代表権に関する要求が容れられなければ、原告がビル建築計画に貢献したことの報酬として、ビル完成のあかつきにはその全専有部分の三分の一に相当する部分を自己に譲渡すべき旨を要求し、これらの要求を十郎に受諾させる目的で、同月二〇日ころ、被告会社に保管中の同社の社印・代表取締役印、同社および十郎の各印鑑証明書、同社備えつけの手形用紙、小切手用紙などを十郎に無断で自己の占有に移すとともに、右手形用紙のうち二枚、同小切手用紙のうち一枚を前記Tに交付し、十郎が原告の要求に応じなければ、右Tにおいて右手形用紙、小切手用紙を勝手に補充して被告会社の取引銀行に呈示し、被告会社を破産に陥し入れかねない旨を暗示して、十郎を困惑させるに至った。右のように十郎と原告との対立が深刻になるに及んで、乙山家一族(具体的には、原告夫妻、十郎夫妻、乙山うめ、乙山五郎夫妻及び十郎の妻の父丙川春男である。)は、同家とは以前から懇意の間柄にあり、事あるごとに相談相手として頼りにしてきた前参議院議員訴外K、被告会社顧問税理士訴外Mの両者に仲介を依頼し、右両者を混じえた親族会議を何回となく繰り返して十郎と原告との対立を調整しようと試みた。この調整の過程で、十郎の側からは、訴外○屋株式会社、乙山うめ、甲野花子の三名が共有する新宿区○○町×丁目×××番地所在の建物につき、乙山うめが有する持分三分の一を甲野花子に譲渡し、その代償として原告が代表権の主張を撤回するとともに、原告が占有する前記被告会社の社印等及びTに交付した前記手形用紙二通、小切手用紙一通を被告会社に返還するとの案が、他方原告の側からは、原告に代表権を与えることのほか、被告会社の株主間の持株比率及び取締役の給与を改正すること、ビルが完成したときはその屋上の管理室を原告の居室として使用させることなどを内容とする被告会社の経営合理化案や、その代案としてビルの総工費を一億円として、その約三分の一に相当する金三、〇〇〇万円を十郎が原告に支払うとの案が各々出されたが、両者の歩み寄りをみるに至らなかった。かくするうちに、原告は十郎から一、五〇〇万円の支払いを受けることを条件に、十郎との間の紛争を解決する意思を固め、前記Mを通じてその旨十郎に申し入れ、同年一〇月一一日新宿区内の料亭「ちゃんぽん」で右M、前記K両名の立会いを得て十郎と話し合い、その結果左記の如き内容の約束が原告と十郎との間に成立した(以下「本件和解契約」という。)。すなわち、十郎は原告に対して、被告会社のビル建築工事の報酬として、同年一一月一〇日を目途として金一、五〇〇万円を支払うこと、右の支払期日は一応の目途であって、十郎は可及的速やかに右支払いに努力し、予定期日に履行できない場合は、支払期日について再協議すること(以上第一項)、原告は十郎に対して、被告会社の社印・代表取締役印、前記Tに交付した約束手形用紙二通、小切手用紙一通を本件和解契約成立後二日以内に返還すること(第二項)、原告は十郎に対して、被告会社と○○工業との間の工事覚書契約書正本一通、被告会社および十郎個人の各印鑑証明書その他原告が保管中の物一切を、本件和解契約成立後三日以内に返還すること(第三項)、原告は被告会社の取締役を辞任し、原告及びその妻甲野花子名義の被告会社の株式約二〇〇株を十郎に譲渡すること(第四項)。以上の契約が成立し、Mがその場で「覚書」と題する書面に右各条項を記載し、同書面に原告、十郎、K及びMの四名が各々署名押印した。右覚書に十郎は、単に「乙山十郎」とのみ記載し、被告会社代表取締役の肩書は表示しなかった。そして、原告は同月一三日本件和解契約第二項記載の各印章、手形および小切手を十郎に引渡し、十郎は被告会社代表取締役名義の領収証を発行して原告に交付した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、被告は、十郎が個人として原告との間で本件和解契約を締結したものであって、被告代表者としてしたものでないと主張し、被告代表者本人尋問の結果中にも同旨の供述があるが、右認定の本件和解契約成立の経緯に鑑みれば、その対象となった紛争は、もともと被告会社の経営支配をめぐる原告と十郎個人との対立に端を発したが、その後原告が被告会社の財産となるべきビルの共有持分権の取得、あるいはこれに代る金銭の支払いを要求し、被告会社の社印・代表取締役印などを自己の占有に移し、さらには被告会社備付の手形用紙、小切手用紙を十郎に無断で第三者に交付するなどに及んで、被告会社の利害に係る紛争に発展していったものというべく、従ってかゝる原告と十郎、原告と被告会社という二面的な様相をもつ紛争を一挙に解決することを企図した本件和解契約において、十郎は個人および被告会社代表取締役の両様の立場を有し、従って、十郎は右の両者の資格において前記「覚書」に署名したものというべきである。このことは、本件和解契約第二、三項が、その条項の内容自体から原告と被告会社間の約束であること、そして同第四項のうち株式譲渡の約束が、その内容自体から原告(及び原告が妻の甲野花子を代理して)と十郎間の個人的約束であること、がいずれも明らかであることによって首肯されるところである。そして本件和解契約第一項にいう金一、五〇〇万円の支払約束について言えば、前述のような右金額による解決をみるに至った経緯、その金額の大きさ、同条項に「○○ビル建設工事の報酬として」とうたわれていること、とくに十郎が原告に対し、十郎個人において右金員を支払うことを表示して右の約束をしたことを認めるに足りる証拠もないことなどに照らせば、原告と被告会社代表取締役たる十郎との間に結ばれたものと認定するのが相当であり、≪証拠省略≫は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  被告は、本件和解契約が、取締役会の承認を得ていないから無効である旨主張する。本件和解契約当時、原告が被告会社の取締役であったことは当事者間に争いがなく、前記認定のように右和解契約第一項にいう一、五〇〇万円の支払約束は、「報酬」という文言が使用されているものの、その実質は紛争の解決金ともいうべきものであり、かつ、被告会社にその支払債務を発生させるものであるから、右条項を含む本件和解契約は不可分のものとして、会社と取締役との利害が対立する取引であって、商法二六五条により取締役会の承認を要するというべきである。

ところで、株式会社とその取締役との間の取引について取締役会の承認を要する旨を規定した商法二六五条の趣旨は、取締役がその地位を利用して会社と取引をし、自己又は第三者の利益をはかり、会社ひいては株主に不測の損害を蒙らせることを防止することにあると解されているところ、前記認定の如く、本件和解契約当時の被告会社の株主構成は、十郎、原告、乙山うめ、乙山咲子、甲野花子の五名であるが、十郎と咲子、原告と花子は各々配偶者、うめと花子、十郎は親子の関係にあり、他方取締役についても十郎、うめ、原告の三名がこれに任ぜられていたのであるから、被告会社は、十郎を中心とする乙山家一族の協働による同族会社というべき実体を有し、原告と十郎との間の紛争に際し、関係者が被告会社の機関を通じての解決を図ることはなく、親族会議という形式によってその解決を企図し、右親族会議の場において解決案を種々協議し、その結論として十郎が原告と本件和解契約を締結するに至ったことが認められるのであるから、このような経過に照らすと、前記のような会社の利益保護を目的とする商法二六五条の立法趣旨に照らし、別に取締役会の承認を要せず、従って、本件和解契約につき、取締役会の承認を得ていないとしてその効力を否定することは許されないものというべきである。

3  被告は、本件和解契約が原告の強迫によるものであるから、本訴においてこれを取消す旨主張する。なるほど、前記認定のように原告が、十郎に無断で被告会社備え付けの手形用紙二枚、小切手用紙一枚を白地のまゝTに交付し、十郎が原告の要求に応じなければこれを勝手に補充して被告会社の取引銀行に呈示し、同社を破産に追い込む旨暗示して十郎を困惑させたことが認められる。しかしながら、同じく前記認定のような十郎と原告との親族関係、右両者の紛争解決の過程では両者にとって共通の相談相手ともいうべき前記K、同Mがつとに仲介の労をとり、本件和解契約締結にあたっても立会人として関与していることなどの事情に鑑みれば、十郎が困惑のためその自由意思を抑圧されて本件和解契約を結んだものとはとうてい認められず、従って被告の右主張は採用することができない。

二  立替設計監理料の支払約束について

1  ≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められる。

前記のように被告会社のビル建築工事に伴なう設計監理は、T設計事務所が担当することになったが、同事務所に対する報酬の支払いは、前記立替工事の趣旨に沿って、請負会社である○○工業が被告会社に代って支払い、ビル完成後被告会社に求償するとの約定が成立していた。○○工業は右約定に従ってT設計事務所に対し、昭和四七年一一月六日に金三四九万円、同四八年七月一一日に金八〇万円を各々支払ったが、同年一〇月一二日現在なお追加設計料を含めて六三万八、〇〇〇円の未払金があったところ、T設計事務所から被告会社に対し右未払金については同社において直接支払うよう依頼してきた。十郎は、被告会社に手持ちの資金がなく、直ちに右の支払いに応ずることができなかったことから、本件和解契約の直後、原告に対し、右未払金を一時立替払いすることを依頼し、原告は同月一二日T設計事務所に対して右未払金六三万八、〇〇〇円を支払った。そして、十郎は、翌一三日原告に対し、右立替金を同月末日までに返済することを約した(以下「立替金支払約束」という。)。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

2  被告は、右立替金支払約束は、十郎が、○○工業(従って被告会社)のT設計事務所に対する未払設計監理料が存しないにも拘らず、これが存するものと誤信した結果なしたものであるから、右支払約束における十郎の意思表示にはその重要な部分において錯誤があり、無効である旨主張するが、≪証拠省略≫中右主張に沿う部分は前記認定に照らし採用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張は採用の限りでない。

3  被告は、右立替金支払約束は、被告会社と同社の取締役たる原告との間の契約であるところ、取締役会の承認を得ていないから無効である旨主張する。しかしながら、右支払約束は、前記認定のように、原告が被告会社のために、これに代ってT設計事務所に前記未払金を弁済し、被告会社がこれと同額の金額につき同年一〇月末日までにその求償に応ずる旨の約定であって、原告はこれによって少しの利益を得ていないばかりでなく、被告会社もまたそれによって何らの損害を受けるものではないことが明らかであるから、右契約は商法二六五条にいう「取引」に該当しないものと解するのが相当である。よって、被告の右主張は採用できない。

三  むすび

そうとすると、原告が被告に対し、昭和四九年一月一〇日到達の書面をもって、本件和解契約にもとづく金一、五〇〇万円、本件立替金支払約束にもとづく金六三万八、〇〇〇円の合計額一、五六三万八、〇〇〇円を同月二五日までに支払うべき旨を催告したことは当事者間に争いがないから、右の金一、五六三万八、〇〇〇円及びこれに対する催告期限の翌日である昭和四九年一月二六日から右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める原告の本訴請求はすべて理由がある。よって、これを認容することゝし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 上村多平)

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